2015/07/30

女神のウィンク



『ちょっともうビールはいいかな』


お酒をもう飲みたくないという意思ではなかった
彼はきっとビールではない飲み物に変える事で何かを示したいんだ

そういえば来た時より音量がデカい

最初にこの空間に入ってきた時は確かジョンメイヤーがかかってたが、
今となってはそれはまるで違う日の事のようなキラキラした重いサウンドが鳴ってる

それでも、まるでサンプラーのサイレンのようなアイツの高笑いは相変わらず聞こえてくる

最初はひたすらファンキーだけどひたすらコワイ人のように思えたバーカウンターの中のお兄さんが
今は同じカウンターに並んでウイスキーを飲んでる

『ビールじゃねーなら何か決まってんだろ』


コワイお兄さん風の陽気なおじさんが言うと、
代わりにカウンターに立ってる明らかに人の良さそうなおじさんがショットグラスを並べながら悪そうに笑った

そのグラスの数は確かに多かったが、
まさかの自分の分まで含まれてるとは飲む瞬間まで気付かなかった

ビールのネオンやら暗めの照明、キャンドルやら街灯が乱反射するショットグラスを覗き込むと
まるで宇宙を閉じ込めたかのように思えた

怒号のような乾杯の音頭でその宇宙を飲み干すと
どこかでよく聴いた気がする曲がさっきよりも更に大きい音量で流れてた
さっきまで閉じ込めてたキラキラとした美しい宇宙が
そこら中に散らばっていった



ああ、この曲なんだっけな



ショットグラスを返し、頼んだ覚えのないロックグラスを受け取ると
『彼等』と一緒にDJブースまで来ていた
そのブースは窓際で、その周りには女性が沢山いた

どんな幸せを分かち合うとこんな美人なお姉さん達はこんな風に笑うんだろう
僕は見てるだけで幸せです

にやけてたのか、目がマジだったのかはわからないが
ゲラゲラ悪魔みたいな高笑いのアイツがバシバシと背中から肩にかけて容赦なく叩いてきた

あははー、とか、いやー、とか言ってると
その悪魔のもとに無作法な表情の男が近付いてきて何か耳打ちした
誰か知らないが明らかに只者ではない

さっきまでの間、僕は会場を隈なく周ってほとんどの人と挨拶して回ったんだ
こんな凄まじいオーラの人がいたら覚えてるに違いない

そういえばこの高笑いの悪魔は、
僕が最初に挨拶した時に色んな事を話してくれたのを思い出した

俺たちは家族なんだ
とか
このパーティーは今夜どこでやってるパーティーよりも楽しいパーティーなのさ
とか

最後にとってつけたように
お前も今日からその一員だ
と言ってた

完全に外人の方がDJしてるのかと思ってたが、近くで見ると凄まじく濃い顔の日本人だった
目が合うと彼はニヤッと笑い
手振り付きで『イェーッ!最高だぜー!』と言った

カウンターの方からシャンパンを開ける音がして、そのシャンパンが僕の手に回ってきた時
発泡するシャンパンの中にはまた宇宙が閉じ込められていた


DJの鳴らす音とは違う音が後方から聞こえてきて振り向くと
そこには僕をここに連れてきてくれた先輩が
何やら演奏する人達に野次を飛ばしてた

そういえば来た時の倍ぐらいの人数になってる
なにやらライブが始まっていた

僕はなぜかすごく楽しくなって夢中になって飛んだり跳ねたりして色んな人達と体をぶつけ合った



どれぐらい経ったかわからないが、気付くと僕はカウンターに寄りかかるように立っていた

足の感覚はほとんど無い

『もうビールとかシャンパンとかはいいかなー』

僕の隣へやって来た女神がそう言ったのを聞いて

ファンキーなコワイお兄さんに、
僕と彼女とお兄さんの分のショットグラスを並べるように頼んだ

タイミングが最強に悪い時に
僕のトコに先輩と悪魔がやって来て、そのショットグラスの数を10倍にした

悪魔がカウンターの上に立つと無音になった

悪魔がなんて言ったかは覚えてないが
会場が地響き起こすような盛大な乾杯の合図で
手の中に閉じ込めた宇宙を一気に飲み干す時

女神が僕にウィンクしながら言った

『ごちそうさま、またここで飲みましょ』



その時、
またさっきの聞き覚えのある曲が爆音で鳴ってた

その後の事は覚えてない
頭痛と共に目を覚ますと、そこは自宅のベッドだった

買って帰ったであろう缶コーヒーを開け
脱ぎ捨てられたデニムからタバコを取り出すと
タバコのビニールと箱の隙間に紙が挟まっていた

そこにはこう書かれていた

『Move on up / Lettuce』